婆の家族構成

婆は四人兄弟姉妹の長女で、9歳年上の兄が居た。

そして二つ下の妹と4~5歳離れた妹が居た。

兄の名前は哲哉と言い、両親にとても大事に育てられたらしい。

それから10年近く子が出来ず、諦めていた頃、生まれたのが婆だった。

待望の赤ん坊に、それはそれは喜んだ両親は、婆を大層可愛がって育てた。

チャコという愛称で呼び、蝶よ花よと育てられる。

やがて二年ほど経った頃、妹が誕生した。

妹はサダコと名付けられ、その二年後に再び妹が生まれ、オリエと名付けられた。

そのオリエ叔母さんが生まれた頃、婆の実母(祖母)は病死している。

当時、14~15歳だった伯父は、その実母の死に疑問を抱き、父親に反抗するようになったという。

多感な年頃だった伯父は、実母は自殺だったのでは…というのだ。

というのも、オリエ叔母さんがまだ生まれる前、一度だけ父方の親戚が訪ねてきたという。

父親の職業は貿易業で、常に世界中を旅していた。

特に上海、台湾、満州、イギリスと交易があり、財を成した人物である。

当時の社会情勢から考えて、相当な儲けがあったようだ。

語学も堪能で、満州語は勿論、中国、台湾、英語と使いこなしたらしい。

伯父も父親の影響から、中国語と英語ができるという。

そんな祖父は、自宅で外国人を招いてホームパティ―をしていたらしい。

そこで伯父は語学を身に着けいったようだ。

ホスト役をこなすため、必要最小限の語学を学んだ。

そんなある日、世の中が戦争に傾き始めた頃、居ないと聞かされていた父親の身内が訪ねてきた。

ただ、言葉が違う国で、見た目が日本人と変わらず、身なりはあまり裕福層ではなかったと言った。

ババアたち一家は、祖父の稼ぎでかなり裕福な家柄で、身なりは勿論だが持ち物も一流品。

外国製品も当り前のように使いこなすような家だったという。

他にも祖父の趣味でかなり骨董品や美術品もあったらしい。

そんな家で育ったという婆。

だが、何故か婆は学歴がない。

普通に小中学校へ通ったというが、中学時代は戦時中で碌に通えなかったとか。

だけど、終戦時の婆の年齢は15歳(中学3年生)だ。

普通なら女子校へ通い、深層の令嬢であれば花嫁修業だろう。

でも、かなりなおてんば娘で、習い事が苦手だったという婆。

家事手伝いを得て、親の決めた相手と見合い結婚したのが19歳の時。

同じ頃、サダコ叔母さんは東京へ就職する。

その叔母さんの後を追って、オリエ叔母さんも東京へと出て行った。

一方で、出戻り娘の婆は家出を繰り返す。

嫁行った先で何があったのか知らないが、たった一年で出戻り、居場所のない婆は家出する。

というのも、婆の嫁入りには、実は伯父の結婚話が関係していたという。

当時、伯父には許嫁が居たが、父親に反抗して、教会で知り合った未亡人の女性と恋仲になる。

猛反対を押し切って結婚したという。

というのも、女性には娘が居たからだった。

娘はオリエ叔母さんと三つほどしか齢が違わない。

そう、齢の離れた妹とは、まるで姉妹のようであったという。

そんな伯母は、伯父と結婚して母親代わりを務めた。

これが婆が家に居られなかった本当の理由だった。