未就学児編

周参見で過ごした数年間は平和だったよう。

親父の仕事も順調で、稼ぎも良くて部下にも恵まれた。

一見すると幸せそのもので、私が1~2歳だったので、ナオコは5~6歳になっている。

普通、5~6歳にもなれば記憶に残る。

トモコにも僅かだが記憶があるという。

なのにこの女は、このいわくつきの周参見の農家へ、二十数年後に嫁に行くのである。

何がいわくつきかというと、親父の会社が倒産するからだ。

親父は婆と一緒になった時、それまで勤めた会社を辞め、伝を頼りに人材派遣の会社を興した。

時代は高度成長の真っただ中、急速に発展する世の中において、人を仲介する仕事は金になった。

そんな親父に嫉妬する輩が居てもおかしくはない。

支払日に会社の資金を持ち逃げされる。

当時の一千万円近い金額は、今でいうところの億である。

それから数年間、親父は借金返済のために奔走するが、親父にはお金を作る才覚があった。

一生かかっても返し切れないと言われた借金も10年足らずで返済する。

だが、この時金を貸してくれたのが地元の有力者だった谷口さん。

実は、道路建設で土地を売って、この時はお金を持っていたため、親父に大金を貸した。

この頃、高校生だった息子の谷口さんは我が家と交流があったようで、赤ん坊の私を知っている人物。

当然、5~6歳のナオコも4~5歳だったトモコも覚えていたが、ナオコは記憶にないという。

この谷口さんは、後のナオコの旦那となる人物の麻雀仲間。

私とは仕事上の繋がりを持つことになる。

それはまだ二十数年の未来の話。

この時、借金から逃げるように、婆は子どもを連れて知人の伝を頼って借家へ移り住む。

それが岩代である。

小学校の正門わきにあった魚屋さん。

そこの隣にあったボロイ建物を間借りしていた。

この時私は三つで、ナオコは就学年齢になっていた。

けれど、婆のうっかりミスで、小学校に一年遅れで入学する。

というのも、私たち姉妹は戸籍がなかった。

そう、婆は親父との駆け落ちのため、住民票を移すことが出来ず、子どもの出生届も出していなかったのである。

そうして7年の月日が経っていた。

この辺りについて、私は親父から話を聞いた。

親父は婆と子どもを引き取り、妻子と別れた時、10年ほどかけて離婚を成立させた。

この時、一千万円近い慰謝料を払ったという。

離婚が成立した時、私は4~5歳になっていた。

この頃、大阪では万博が開催されていたが、喘息持ちで病弱な私は、時々床に伏せた。

そして、先妻の子である大学生の賢治さんが訊ねてくる。

賢治さんは留学のため、パスポートを申請する。

その時、私たちの存在を知ったという。

そう、離婚が成立して、親父は私たち姉妹の戸籍を作ったのだ。

認知をしており、家族欄に私たちの名前が記載される。

つまり戸籍上、私達は異母兄弟姉妹となる。

それを知った賢治さんは、私達を訪ねてきたが…会う勇気がなくて庭先を覗きこんだ。

一人で遊ぶ私が居て、声をかける。

思いが先走り、幼い私にヒドイ言葉を投げつけた。

泣きじゃくる私に、はっと我に返り、急いで逃げ帰った。

この時の出来事を後悔する彼は、後に親父の葬儀の時、私に謝罪した。

このエピソードに嫉妬したのが婆とナオコ、ユキの三人である。

本当に一々妬むので困る。

そもそも戸籍がない状態で、私等を放置した張本人は誰だよ。

親父は籍を入れると言ったのに、それに抵抗して放棄したのは婆だろうが。

私には何の罪もない。

だけど、この女どもの果てしない欲望は、この先もずっと続くのである。

そして、その犠牲になるのがトモコと私。

やがて私も小学生になった。

婆の家出…その後。

家出をした婆は職を転々としたという。

一度は見つかって、実家に連れ戻されたらしい。

だが、じきに家出をして姿をくらました。

そして三度目の家出の時、住み込みの賄婦で働いた。

それが親父が勤めていた会社の寮だった。当時、親父には妻子が居たが、普段は会社の寮に寝泊まりしていた。

あまり自宅に帰る事がなく、月に一度休暇を取って帰る程度だったらしい。

そんな親父に目をつけたのが婆である。

甲斐甲斐しく世話を焼く婆。

やがて二人は恋仲になり、親父は離婚を決意する。

そして婆は親父が既婚者であった事実を知ったという。

離縁を言い渡された嫁は家出をし、幼い子を置き去りにした。

子どもたちは途方に暮れ、長女の美代子は弟と妹を連れ、親父の会社へやってきた。

そこで婆と出会い、婆は子どもたちの面倒を見る為、親父の自宅へ行った。

およそ一年、同居生活を送った。

婆は子どもたちのため、嫁を説得して連れ戻す。

そして隙を見て家出。

この時、お腹にナオコを妊娠していた。

家出先でナオコを出産。

親父にみつかって、連れ戻される。

奇妙な共同生活になるが…再び隙を見て家出。

今度はお腹にトモコを身籠っていたが、落ち着いた先のおかみさんに指摘されて気づく。

子どものいない夫婦だったので、生まれてくる子を実子として育てると言い、婆に数十万円支払った。

今でいう百万円程の金額だという。

やがて出産の日を迎え、いよいよ明日、トモコを引き渡すという日に、親父が現れて買い戻した。

親父は妻子を捨てて婆を迎えに来たそう。

観念した婆は、ナオコと産まれたばかりのトモコを連れ、親父と行動を共にすることになった。

移動した先で生まれたのは和已ちゃんだった。

待望の男児誕生で大いに喜んだ。

だが、しばらくすると親父は婆と子どもたちを置いて出稼ぎに行く。

当面の生活費を置いて。

行先も連絡先も告げなかったというが、親父曰くメモ書きを置いて行ったという話。

この辺りが婆と親父で食い違う。

ただ、婆は飯場の人間と馴染めなかったようで、借家に住んだと聞くが、婆の言い訳によれば、幼い子が沢山いて居づらかったのだそう。

確かに婆は他人を見下したところがあるので、飯場の人間はその微妙な空気を読んで嫌っていたかもしれない。

また、異常に親父が嫉妬深く、飯場の若い衆と仲良くしていたら、焼きもちを焼くのだとか。

本当かどうかわからないが、男好きの婆ならありそうな話である。

置いてイカレタ理由とか、連絡先の行き違いは、どうも、原因はこの辺りにありそうだ。

そして約一年後、親父は様子を見に帰ってきた。

すると、見覚えのない生まれたての赤子が居て、和已ちゃんの姿はなく…病死していた。

そう、この時産まれた赤子がユキである。

ユキは見た目が亡くなった和已ちゃんにそっくりだった。

そのため疑う事のない親子なんだが、何故か親父はユキの存在を認めなかった。

そして子どもを連れて親父と共に小豆島へ渡る。

この時、お腹にいたのが私だ。

親父への恨みから、まだ胎児であった私に矛先を向ける。

やがて月足らずで、仮死状態で生まれた。

産まれて三ヶ月ほど保育器で育つ。

気管支炎を患い、病弱な私は二十歳まで生きられないかも…と言われたという。

そんな私を無理やり連れ回し、小豆島から船で本州に渡り、船を乗り継いて周参見へと移動した。

頸も座らない、生まれて半年足らずの病弱な私にとって、自殺行為である。

私が死ぬかもしれない…と考えなかったのではなく、死んだらそれまでと割り切っていたというから恐ろしい。

そう、私など、婆にしてみたら、死んでもとるに足りない事だったのだ。

こうして2~3年の月日が過ぎていく。

祖父の正体は…

婆を溺愛したという祖父。

この人、一体何処の誰なのか。

私が生まれた時、すでに他界していて逢った事はない。

親戚の存在は、実は小3になるまで知らなかった。

家出した婆が親父と出会い、駆け落ちして一緒になるまで、さらに十年の月日が罹る。

その辺りを誤魔化す婆。

だけど私は伯父と叔母から事情を聴取している。

婆が家出をし、実家に戻るのが二十年後だ。

つまり私が小3の時である。

このわけのわからない一連のトラブルは、すべては祖母の病死から始まっている。

身重の祖母が、おかしくなりはじめたのが、伯父と婆の記憶では父方の身内が着た頃だという。

その日、何があったかは不明だが、祖母は祖父の正体を知ったのではないかというのだ。

また、伯父の話によれば、祖父は一切学校に通っておらず、何処で習得したのかわからない学識と語学力。

そして、戸籍上の地名は、実在しないという話。

では、何処の誰で、どういった経緯で結婚に至ったのか。

それも全くの謎だという。

祖母には、親が決めた許嫁が居た。

結婚の一週間前、突然一方的に相手の都合で破談になり、突如現れた相手が美丈夫の祖父であったという。

まるで初めから決まっていたかのようで、トントン拍子に決まって、所帯を持つに行ったったと聞かされている。

その祖父が持ち歩いていた金の懐中時計と定規。

最近になって、その意味を知ったのだけど…フリーメイソンのシンボルだ。でも、祖父が亡くなり、それらの持ち物をすべて現金に換えたのは伯母だ。

なので今更探りようがないのだが。

もしも、このような事実を身重の祖母が知ったとしたら…おかしくなっても仕方がないだろう。

そして、オリエ叔母さんが生まれ、数日後に風呂場で生きたえた姿を目撃する。

現状だけだと本当に病死だったのか、婆と伯父が疑ったとしてもおかしくはない。

当時の事を4~5歳だった婆も覚えているという。

そんな祖父は、語学堪能で才覚があり、美丈夫でありながら再婚はしなかった。

他所に女性が居たかどうかは分からないという。

その祖父も60代を少し過ぎた頃、病死した。

婆が家出中の事だったらしい。

祖父はどこでどんな教育を受けたのか、伯父にもわからないというが、それだけの才覚と外見と貿易商という仕事側から考えて、考えられるのは特別な訓練を受けたスパイということだ。

こんな話、婆やナオコにしたって理解は出来ないだろう。

そもそも「そんな小説みたいな話、あるわけがない」というだろう。

では、戸籍も名前も持たない人物って、何だというのだろうか。

その答えを婆も持ってはいない。

でも、祖母が病死であれ、自殺であれ…祖父の正体を知っておかしくなった事は事実だ。

それが伯父と婆の人生を変えてしまう。

そして婆は親父に出会う事も無かったのだ。

 

婆の家出

さて、出戻りしてみれば、妹たちは実兄の嫁と仲良く暮らしていた。

反対していた身内も誰も何も言わない。

居場所がない婆は家出をする。

が、本当のところ、他にも理由があったようだ。

元々我儘で、子どもの頃から手の付けられない暴れん坊だった婆。

娘らしく育てようと、手習いを一通りさせては見ても、二つ下のサダコに劣ってしまう。

それでも父親は婆を可愛がっていて、手元に起きたがったらしい。

戦時中、母方の親戚がある諫早疎開先には、妹二人を向かわせ、実家には婆を残したほど。

また、伯父は志願兵で海軍飛行隊へ所属するが、一度も戦地へ行かなかったらしい。

当時、伯父は20代前半で、周囲は次々と出兵する中、自分には赤紙が来ないと悩んだという。

勿論、父親は猛反対で、「戦争は、じき終る」と言っていたらしい。

その言葉通り、伯父が志願して一年後、終戦になる。

その終戦間際、祖父は身内に「この数日は、市内へ出るな」と通達したという。

そう、8月9日は長崎に原爆が投下された日である。

この日、祖父の言った通りに市内へ出て行かなかった親戚たちは、誰一人として被害に遭っていないという。

何故、祖父はそんな事を予測できたのか。

まるで、新型爆弾の投下を知っていたかのようである。

そして終戦になり、帰ってきた伯父は長崎にある三菱造船所に就職する。

そう、あの天下の三菱グループである。

伯父が優秀だったから…!?

いいや、それだけが理由で、あの三菱傘下の企業へ就職は出来ない。

他に理由がなければ絶対に不可能だ。

また、サダコ叔母さんの就職先も三菱傘下の子会社が出資する会社である。

そこの事務員ということは、優秀であるからだけではなく、身内である縁故入社だ。

そう、一連の裏には貿易商であった祖父が絡んでいる。

だから縁故入社なのだ。

また、伯母はクリスチャンだ。

その影響でサダコ叔母さんは、伯父同様に教会で洗礼を受けたという。

結婚相手も教会の紹介で見合い結婚だ。

だけど、オリエ叔母さんはそれに反発し、洗礼も受けていないし、恋愛結婚だという。

この中で、一人浮いていたのが婆だ。

そりゃ家出を繰り返すわ...orz

 

婆の家族構成

婆は四人兄弟姉妹の長女で、9歳年上の兄が居た。

そして二つ下の妹と4~5歳離れた妹が居た。

兄の名前は哲哉と言い、両親にとても大事に育てられたらしい。

それから10年近く子が出来ず、諦めていた頃、生まれたのが婆だった。

待望の赤ん坊に、それはそれは喜んだ両親は、婆を大層可愛がって育てた。

チャコという愛称で呼び、蝶よ花よと育てられる。

やがて二年ほど経った頃、妹が誕生した。

妹はサダコと名付けられ、その二年後に再び妹が生まれ、オリエと名付けられた。

そのオリエ叔母さんが生まれた頃、婆の実母(祖母)は病死している。

当時、14~15歳だった伯父は、その実母の死に疑問を抱き、父親に反抗するようになったという。

多感な年頃だった伯父は、実母は自殺だったのでは…というのだ。

というのも、オリエ叔母さんがまだ生まれる前、一度だけ父方の親戚が訪ねてきたという。

父親の職業は貿易業で、常に世界中を旅していた。

特に上海、台湾、満州、イギリスと交易があり、財を成した人物である。

当時の社会情勢から考えて、相当な儲けがあったようだ。

語学も堪能で、満州語は勿論、中国、台湾、英語と使いこなしたらしい。

伯父も父親の影響から、中国語と英語ができるという。

そんな祖父は、自宅で外国人を招いてホームパティ―をしていたらしい。

そこで伯父は語学を身に着けいったようだ。

ホスト役をこなすため、必要最小限の語学を学んだ。

そんなある日、世の中が戦争に傾き始めた頃、居ないと聞かされていた父親の身内が訪ねてきた。

ただ、言葉が違う国で、見た目が日本人と変わらず、身なりはあまり裕福層ではなかったと言った。

ババアたち一家は、祖父の稼ぎでかなり裕福な家柄で、身なりは勿論だが持ち物も一流品。

外国製品も当り前のように使いこなすような家だったという。

他にも祖父の趣味でかなり骨董品や美術品もあったらしい。

そんな家で育ったという婆。

だが、何故か婆は学歴がない。

普通に小中学校へ通ったというが、中学時代は戦時中で碌に通えなかったとか。

だけど、終戦時の婆の年齢は15歳(中学3年生)だ。

普通なら女子校へ通い、深層の令嬢であれば花嫁修業だろう。

でも、かなりなおてんば娘で、習い事が苦手だったという婆。

家事手伝いを得て、親の決めた相手と見合い結婚したのが19歳の時。

同じ頃、サダコ叔母さんは東京へ就職する。

その叔母さんの後を追って、オリエ叔母さんも東京へと出て行った。

一方で、出戻り娘の婆は家出を繰り返す。

嫁行った先で何があったのか知らないが、たった一年で出戻り、居場所のない婆は家出する。

というのも、婆の嫁入りには、実は伯父の結婚話が関係していたという。

当時、伯父には許嫁が居たが、父親に反抗して、教会で知り合った未亡人の女性と恋仲になる。

猛反対を押し切って結婚したという。

というのも、女性には娘が居たからだった。

娘はオリエ叔母さんと三つほどしか齢が違わない。

そう、齢の離れた妹とは、まるで姉妹のようであったという。

そんな伯母は、伯父と結婚して母親代わりを務めた。

これが婆が家に居られなかった本当の理由だった。